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ー死ぬることは簡単だが、生きることは難事業である。僕のような空虚な生活を送り、1時間1時間に実のない生活を送っていても、この感慨は痛烈に身にさしせまって感じられる。こんなに空虚な実のない生活をしていながら、それでいて生きるのが精いっぱいで、祈りもしたい、酔いもしたい、忘れもしたい、叫びもしたい、走りもしたい。

僕には余裕がないのである。生きることが、ただ、全部なのだ。



坂口安吾/堕落論 P85 青春論より




この一節が全てを物語ってるし、私も生きてる事が全てなのだと感じている。


今日、友人と綺麗な死体で死にたいと話した。尚且つ、誰も悲しまないような笑える葬式をしたいと。


綺麗な死体でいる死に方を考えた。首吊りは跡が残る、飛び降りや飛び込みは原型がなくなる、毒も皮膚に斑点が出るかもしれない、窒息は顔に血が集まって原型がなくなるし、ナイフで刺すのも場所が違えば中途半端に生きてしまう。


めんどくさいな、生きようか。


そんな話で終わった。祖父が亡くなった時の死化粧を見たのだがとても美しかった。生きている人間には無い儚さと冷たさが、この世のもので無いような綺麗さを感じた。実際にこの世に魂はないわけだが、肉体はこの世のものだ。それなのに、触れれば透けてしまいそうな気がした。触れた時の冷たさは真冬に触れる鉄よりも冷たくて、人肌とは生きてる生物のみのものなのだと知った。



せっかく綺麗な顔に生まれたのだから、死化粧の映える死体でありたい。死化粧の美しさで順位を付けたら結構上位に上がれるのではないかと思う。



それから笑える葬式をしたいと。


とても不謹慎な話であったけど、友人は棺の顔の部分だけじゃなくて胸と局部も見えるように開けるようにしたいなんて言ってた。たっている状態で死後硬直になれば面白いのに、と言ってた。それからコーヒーが好きな人だから焼香をコーヒー豆をミルで挽きたてのものにしたいなんて。

そもそも火がつくのか甚だ疑問であるが。



それくらい笑えたら良いよね。自分が死ぬことによって大切な人達が悲しんでる姿を死後に見たくない。だから笑える葬式にしたい。せめて三途の川を渡る前に笑ってる姿を見たい。




誰だっけな。そう、ルパン三世がとても好きなんだけど、峰不二子が言ってた。



命を惜しまない男は立派よ。だけど死ぬなら孤独に死になさい。誰も愛さずに、愛されずによ…悲しむ女が減るわ。




こういう考え方もありかなって思う。誰かが悲しむなら、誰も知らなくていい。割と昔はこういう考え方だった。今も時々戻る事もあるけど。



でも出来ることなら多くの人を愛して多くの人に愛された上で悲しまない死に方がしたい。



祖父が亡くなった時、出棺の時に一度泣いた。それ以外は一切泣かなかった。決して側にいる気はしなかったけど会える気はしたから。そう遠くない未来に。人の人生なんて短い。だから、きっと早くに会える。



ボウイが亡くなった時は亡くなった気がしなかった。生の匂いを残していた。もちろん多くのアルバムがあって歴史を残した人物だから残るものが形として多いのは確かではあるけど。それとは違う。この世に影響を与えて今後もずっと与えていく。

生きてるってまたその人と会えるって誰かが思う。それが生きてるって概念だと思う。




また会える。死後も尚、生きてるという概念を残す。それが余裕のない人生の上での、私のすべての、結末。