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簡単に断ち切れる人間関係が多かった。



深く関わらない。関わっても、私は興味がない。私が興味あっても相手が興味がない。他人から見れば断ち切ってはいけないのかもしれないけど、断ち切っても困らない関係が多かった。


私自身そこまで興味がなくて消えたとしても精神の変化は対してない関係が殆どだった。だから孤独をよく感じていたし、それが心地よい時もあった。


しかし今は断ち切れない関係が増えた。もし私が消えたら、悲しむ事が分かる人が増えた。私が影響を

与えてると感じる人物が増えた。私が断ち切れる、切れないの基準は恐らく与えてる影響の強さ。

切れたとしてさほど影響がない関係だったから断ち切れた。



正直面倒だと思う。消えたいときに消えられない。離れる事が手間である。結局は独りである事を割と愛してて、結末は独りであると認識しているから。


簡単に断ち切れる人間関係が割と好きだったのだろう。



友人がずっと欲しかった。それは断ち切れない強い人間関係という事であったのか、ただ側にいる都合のいい人間が欲しかったのかは今となっては分からない。


ただ私にも大切に思える人が増えたと思う。


断ち切れる人間関係だった。私が断ち切っても大丈夫だと認識できるのは、つまりは断ち切っても私にも問題のない人間だったという事。


切り離したくない人が増えた。その人の願望を叶えたいと、その人が笑う事を、その人の幸せを、心底願う事がある。


死ぬときは死ぬ。


ただその上で、その人の為に残りたいと思う。死ぬ事が困難になった。



その人が笑う為だけに生きたいと思えたら菩薩にでもなれるんじゃないかな。

誰かの為に生きる事ほど脆いものはない。自身の欲に素直な方がよほど確固たる意志になり得る。それでも誰かの為に生きる事を人は願う。そんな誰かに憧れてるのか、理想郷がそこにあるから。



思えば私の理想郷とは、


青臭い事を放った時期もあった気がしたけど結局欲に塗れて、ただ一途に欲しいものとは、



名誉だ。



誰もいなかったから。恐らく世界中のすべての人が欲しい。孤独ではなく孤高になりたい。誰かの羨望を浴びたい。

その欲望の中でふとした瞬間にまっすぐ幸せを願える相手を糧に生きたいし愛したい。そして愛せる自分を愛したい。