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日付は変わっているけど本日とす。

 

起きてから寝てまでが1日です。

 

ランニングに行った。筋トレした。マッサージした。

野菜炒めもナスの煮浸しも魚も卵も、深夜にパスタも食べた。健康的であるがパスタの時間が違う気がする。

 

友達と古本の話をした。私は古本が好きだ。特別、初版は愛おしい。

熟語や言葉、文章の文字の並びに芸術性を感じる。「春琴抄」なんて美しい。

 

だからよく、作品の言葉を普段の会話に使う。クサイけど味のある会話になる。案外、異性って理解できないものに弱いみたいで、不思議だと感じたらそれだけで惚れる一つにもなるらしい。

 

話は逸れたが古本が好きな理由として、もちろん文章それ自体には作家さんの経緯や歴史が詰まっている。物語にはなっているが、物語自体が作家さんの物語となる。

さらに紙の汚れや焼け具合、誰かの手垢、作家さんだけの物語に誰かの物語や人生が上書きされるのだ。もちろんエスパーではないので、手垢とかだけで他人の人生なんて読めないけど、誰かが触れて誰かの人生が色んな形でこの本は知っているのだと思うと、生き物みたいに見えてくる。

 

それもペットみたいに幼少期から知ってて育てていくものじゃない。成長する恋人みたいなものだ。誰かが愛でて愛でて、離れてまた誰かが愛でて。そうして完成する。恋人。

 

人間もそうであるのが殆どだし、そうであるべきなんじゃないかな。

愛でて、そこで止まってしまったらきっと、屍だと思う。どんな形にでもなれる。本も読み手の使い方次第だから。人間だって丁寧に扱えば綺麗なまま残れるし、適当に扱えばそれ相応のものにしかならない。

 

星の王子さまで、「所有されていることってどういうこと」そんな問いかけがあった。

 

うろ覚えで申し訳ないのだが、「あの星の花にぼくは水を与える。手入れをする。愛でてあげる。それが所有しているって事じゃないかな」そんな感じの言葉があった。

 

たぶん、みんなそう。

 

所有して、所有されて。

 

 

所有される事だけを望んではならないし、所有するだけではいけない。

愛する人に嘗てこの話をした気がした。今は所有されているだろうか。所有できているだろうか。

 

わからなくなる。