もう前回から1年以上たっていた。

 

 

気付けば20歳になった。私は1年前から何も変わっていない。むしろ後退している気がする。私自身は。

ただ私を取り巻く環境は変わった。愛してくれる人が増えた。一緒に笑える人ができた。ずっと欲しかったものは友人だった。そういう意味では今、満たされている。

 

誰にでも理想郷がある。理想は他者であったり物質であったり哲学であったり、何か。その理想に辿り着けないから人は劣等感や焦りに苛まれる。

きっと多くはその理想郷は、更新されていく。去年と今年、昨日と今日が異なるように。前進してたり後退してたりする。

 

愛してくれる人が多くいる。その事実が恐らく私を今後も救っていくし、堕落もさせるだろう。踏み躙らなければならないのが愛してくれる人で、手を伸ばしてくれるのも愛してくれる人だ。

陰翳礼讃とは谷崎潤一郎の日本の美を謳った作品だ。どこか暗い影がある。しかしその影に美しさが秘められていると言う。

 

私は今後どのようになっても生きたいと今、思っている。誰かの為であり自分の為だ。

祖父が先日亡くなった。誰よりも尊敬している人だった。もし同じ年で亡くなるならば、58年後だ。森博嗣の作品にこんな言葉がある。「約二万日の人生の記述なんてCD一枚をいっぱいにすることさえできない」

二万日って大体、54年だ。もし祖父の歳まで生きる事を目標にするならば、CD一枚をいっぱいにする事くらいはできるだろうか。

 

人生という物語の上で、欠落した部分を作りたくない。しかしこの4年間、きっと一番色濃い時期を無駄にした。他者から見れば私は多くの事を知っているようだが、私は役者なだけだ。

物語の舞台で、虚像を作って役を演じている。

 

失われた4年間を取り戻して20代を輝かせたい。他者からなんと言われようときっと笑いたい。誰かと決める必要はない。最期は独りかもしれない。それでも私が決めた死の定義の中で、生を全うしたいと思った。

 

誰にも知られなくていい。ただ、祖父が亡くなった日は祖母の命日であった。祖母が残した言葉に「おばあちゃんのように幸せな人生を送ってください」そう書いてあった。その言葉によってガンで苦しんで亡くなったと思われた祖母の最期は輝きを持つ。彼女の人生に花が舞う。

 

だから記す。そして死のために生を全うしたい。

 

きっと1週間後に私は泣いている。