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人間だから落ちるのであり、生きているから落ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ち抜くことはできないだろう。ーそれゆえ愚かなものであるが、堕ち抜くためには弱すぎる。




堕ちて行く感覚を覚えるときはある。恐らく全てのものが感じる感覚であろうが、確かに堕ちきった人は見た事がない。むしろ底をどことするのか。例えば自殺という道を選んだとて、それは底ではなく堕ちて行く沼の抜け道でしかなく、終わりではない。


死は生に対して垂直に立っている。


その言葉をありありと感じる話である。あながち生の対義語は死ではない。また死の対義語も生でない。


堕ちきった場所に自分を見出すとして、何があるのだろうか。


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過去の記憶は良くも悪くも淘汰されて鮮明に残る。



もう思い出せない言葉もあれば思い出せる言葉もあって、想いはきっとふと香りを感じた時に思い出すけれど段々と薄れていく。


体に力が入らない。全ての痛みが腹部に集中してるような気がする。捨てる事は簡単かもしれないけれど、記憶が多ければ多いほど丁重に捨てたくなる。


結果は同じだとしても。



今後関わらなければならない訳でもないし、関わろうと思ってすらいない。それなのに、記憶が邪魔をして、もちろん愛は無いけど嫌いにもなれず好きにもなれない。関わりたく無い訳でも関わりたい訳でも無い。


ただ、解放されたい。



酷く自己中心的な感情だ。閉じられたエレベーターがいつまでも開かなければ良い。それが誰に対してとかではなく感情や想いから解放されたいのだと思う。



自分という殻に閉じ込められている。生きている事がもはや束縛だと言う考え方がある。死んだ時始めて人間は解放されるのだと。



死にたいとは思わないが解放はされたい。肉体がなければ痛みはない。



腕とか足とかフワッとする。貧血気味なのかもしれないし痩せたおかげの軽さかもしれない。もしくは全神経が腹部にあるからかもしれない。



終わったら思いっきりはしゃぎたいし叫びたいし広い場所へ行きたい。


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There are places I remember

All my life though some have changed

Some forever not for better

Some have gone and some remain

All these places have their moments

With lovers and friends I still can recall



In my life/The beatlesの一部より



たった2分26秒の曲である。

その中で変わっていく事も永遠に続くものも愛そうと、忘れられず愛して来たものより、あなたを愛そうと、変わって亡くなって消えてそんな愛しい人生の中であなたを強く愛していこう。


そんな意味の歌だ。




変わっていく事が怖い。変えなければならない事がある事もある。その一歩がなかなか踏み出せない。踏み出さずとも変わっていく流れが、悲しくもある。


変わる事によって失うものも多い。失くしたくないものをなくしていく。その代わりに得られるものはあるだろうか。


進まなければ得られるか否かも分からないけれど、止まっていては得られるはずだった何かも失うのだろう。


賭けに出てみた。本当の願望は異なっているけれど、私が好きな私を愛して欲しいと思う。


年老いてく自分を愛したい。年老いてく程に魅力的になっていく自分でありたい。自分の人生を愛おしく思い、それ以上に誰かを愛したい。


In my life I love you more




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ー死ぬることは簡単だが、生きることは難事業である。僕のような空虚な生活を送り、1時間1時間に実のない生活を送っていても、この感慨は痛烈に身にさしせまって感じられる。こんなに空虚な実のない生活をしていながら、それでいて生きるのが精いっぱいで、祈りもしたい、酔いもしたい、忘れもしたい、叫びもしたい、走りもしたい。

僕には余裕がないのである。生きることが、ただ、全部なのだ。



坂口安吾/堕落論 P85 青春論より




この一節が全てを物語ってるし、私も生きてる事が全てなのだと感じている。


今日、友人と綺麗な死体で死にたいと話した。尚且つ、誰も悲しまないような笑える葬式をしたいと。


綺麗な死体でいる死に方を考えた。首吊りは跡が残る、飛び降りや飛び込みは原型がなくなる、毒も皮膚に斑点が出るかもしれない、窒息は顔に血が集まって原型がなくなるし、ナイフで刺すのも場所が違えば中途半端に生きてしまう。


めんどくさいな、生きようか。


そんな話で終わった。祖父が亡くなった時の死化粧を見たのだがとても美しかった。生きている人間には無い儚さと冷たさが、この世のもので無いような綺麗さを感じた。実際にこの世に魂はないわけだが、肉体はこの世のものだ。それなのに、触れれば透けてしまいそうな気がした。触れた時の冷たさは真冬に触れる鉄よりも冷たくて、人肌とは生きてる生物のみのものなのだと知った。



せっかく綺麗な顔に生まれたのだから、死化粧の映える死体でありたい。死化粧の美しさで順位を付けたら結構上位に上がれるのではないかと思う。



それから笑える葬式をしたいと。


とても不謹慎な話であったけど、友人は棺の顔の部分だけじゃなくて胸と局部も見えるように開けるようにしたいなんて言ってた。たっている状態で死後硬直になれば面白いのに、と言ってた。それからコーヒーが好きな人だから焼香をコーヒー豆をミルで挽きたてのものにしたいなんて。

そもそも火がつくのか甚だ疑問であるが。



それくらい笑えたら良いよね。自分が死ぬことによって大切な人達が悲しんでる姿を死後に見たくない。だから笑える葬式にしたい。せめて三途の川を渡る前に笑ってる姿を見たい。




誰だっけな。そう、ルパン三世がとても好きなんだけど、峰不二子が言ってた。



命を惜しまない男は立派よ。だけど死ぬなら孤独に死になさい。誰も愛さずに、愛されずによ…悲しむ女が減るわ。




こういう考え方もありかなって思う。誰かが悲しむなら、誰も知らなくていい。割と昔はこういう考え方だった。今も時々戻る事もあるけど。



でも出来ることなら多くの人を愛して多くの人に愛された上で悲しまない死に方がしたい。



祖父が亡くなった時、出棺の時に一度泣いた。それ以外は一切泣かなかった。決して側にいる気はしなかったけど会える気はしたから。そう遠くない未来に。人の人生なんて短い。だから、きっと早くに会える。



ボウイが亡くなった時は亡くなった気がしなかった。生の匂いを残していた。もちろん多くのアルバムがあって歴史を残した人物だから残るものが形として多いのは確かではあるけど。それとは違う。この世に影響を与えて今後もずっと与えていく。

生きてるってまたその人と会えるって誰かが思う。それが生きてるって概念だと思う。




また会える。死後も尚、生きてるという概念を残す。それが余裕のない人生の上での、私のすべての、結末。



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今の仕事で1年と少し、初めて遅刻した。



昨夜遅くまで友人と過ごして帰って来てから、長々とこの記事を書いていた。感情の赴くままに書いていたが気付いたら寝ていた。アラーム設定もせずに寝ており、出勤時刻に起きたものだった。


かなりの長文だった気がするが、落ち着いてsafariを開いたら下書き保存していなかった記事は全部消えていた。昨夜は溢れる言葉ばかりであったが、振り返ると何を言いたかったのかも分からない。


漠然としていて脆い。言葉も想いも、朝起きたら無くなってて寝坊したらどうでもよくなってる。


人もこの世もそんなものだ。言葉を交わさなければ離れていくし目に止まらなければ忘れていく。


私の事を笑ってくれた上司が好きだと思った。久しぶりにした政治や社会性の話が気持ちよかった。


緩やかに日常に戻る。


だけど忘れていく想いも言葉も、鮮やかであった事は忘れない。



アラーム設定を毎日リピートに設定しよう。

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ある人がいる。



たった3回しか会ったことはない。特別連絡を取るわけでもない。が、忘れられなくてずっと気高い場所にいる人。


夢でサカナクションを聴きたいと思ってApple musicで検索したらその人の写真が出て来た。そう言えばサカナクションのボーカルの苗字とその人の苗字は同じだ。



夢は私も気付かなかった事も教えてくれる。サカナクション自体久しく聴いていなかったのに。



その人を思い出すと進みたい気持ちが強くなる。今の私は会わせたくないけれど、未来の私は会わせたい。会わせられる自分でいたい。




Apple musicにDocumentaLy以降のアルバムも追加されて居たのだと知る。