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夢をよく見る。そして記憶している。

 

 

印象に残っているのは、螺旋階段の夢。夕暮れの森の中にある螺旋階段だった。

幼稚園や小中の知人たちが緩やかに、登り降りをしている。私はその中で走って登っていた。

目の前にはずっと憧れ、なりたいと思っていた女の子がいた。

 

特別仲が良かった訳ではない。グループも違った。クラスが同じ事以外に接点のない女の子だった。

 

とても綺麗な容姿を持っていた。性格がはっきりしていて口が悪かった。とても頭が良く回転も早くて、口喧嘩で彼女の右に出る者はいなかった。運動も頭脳も平均以上、絶対音感を持っていて音楽もうまかった。当人の悩みが「なんでも上手く出来すぎて努力する苦しみを知らないこと」だった。

でもとても努力をする人だった。他の人の倍努力をしている人だった。恐らく世間一般的な努力を努力と思っていない人なんだろう。

 

口は悪いけど、同情とは違う優しさを持っていた。余り話したことはなかったけれど、居心地のいい人だった。

 

 

そんな女の子を螺旋階段でひたすら追いかけた。決して追いつく事はなかった。

 

頂上に到達したときに彼女はいなかった。捕まえるもののなかった私は螺旋階段の頂上からふわりと、砂の地面に落ちた。

 

きっと彼女にもう出会うことはない。そして追いつく事もない。恐らくもう違う道を進んでいると知っているから。

 

 

今日はその人にどこか似ている女性と遊んだ。

 

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今日が人生の中でも、ターニングポイントであればいいなと思っている。

 

久し振りに恋人に会った。試験が終わって、会いに来てくれた。自信がない、そういったら、そんなもんだよね~って言った。どうなるかは結果見てから今後考える、そういったら、そりゃそうだ。って言った。

 

その気軽さが救いだった。もし、同情して慰められても、咎められても、きっとつらかった。あの人は手を差し伸べることはない。差し伸べることはないけど前を振り向かせてくれる。だって前を向かなければ、あの人は先へ進んでしまうから。

 

何度死のうとした時も、結局はあの人に救われてきた。まったく手を差し伸べることはなく、同情する事もなく、立ち上がらせた。

 

痛みや悲しみに効くのは、優しさだとは限らない。

 

厳しさとも違う。側に居るけど干渉はせずに先に進んでいく。背中だけを見せていく。

父親の背中を見るのは私は嫌いだったけど、親の背中を見て子は育つような、たぶん私にとってあの人が親なのかもしれない。

 

あぁ、そうか。心底、愛していると自覚した。

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疲れたのだろうか。

正直疲れたかどうかもあまり分からない。楽しくはないのは事実。

明日になっても明後日になっても変わりはしない。

言い訳ばかりを考える。私は嘘をつきすぎている。

塩パン食べたい。 

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本当は日付が変わってから書くのだが、訳あって本日中に投稿。

 

ふと気付いた。このブログはかなり自己満足で書いているが、あくまでも見られるものとして記入していると。感情の中でもわかり易い部分を書いている。

別で毎日つけている日記がある。こちらはもっと複雑な部分が書いてある。人様に見せれないような事も書いてある。誰にだっていくつもの顔がある。その一つが、毎日つけている日記だ。露呈する事のない感情。今、私の取り巻く環境は大きく歪んでいる。

 

友人が言っていた。

「彼女がほしいのではない。彼氏になりたいんだ」

それはある特定的な人物へ向けた言葉で、恋人も結婚も特定的なものなのだと。

 

明日はきっと私は絶望する。いつもならすぐに過ぎ去る時間がやたら長く感じて胃が痛くなるんだろう。何度同じことを繰り返し嘘をつき続けてきたんだろう。誰も私の本音は知らない。

 

いくつもの顔があるように、誰にも言えない事柄もある。代わりに嘘をついた。

 

誰かに見とがめられたくもない。同情もされたくない。だから自分で、嘘を事実にするしかない。だけど、それが無理なら、、、、

 

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日付は変わっているけど本日とす。

 

起きてから寝てまでが1日です。

 

ランニングに行った。筋トレした。マッサージした。

野菜炒めもナスの煮浸しも魚も卵も、深夜にパスタも食べた。健康的であるがパスタの時間が違う気がする。

 

友達と古本の話をした。私は古本が好きだ。特別、初版は愛おしい。

熟語や言葉、文章の文字の並びに芸術性を感じる。「春琴抄」なんて美しい。

 

だからよく、作品の言葉を普段の会話に使う。クサイけど味のある会話になる。案外、異性って理解できないものに弱いみたいで、不思議だと感じたらそれだけで惚れる一つにもなるらしい。

 

話は逸れたが古本が好きな理由として、もちろん文章それ自体には作家さんの経緯や歴史が詰まっている。物語にはなっているが、物語自体が作家さんの物語となる。

さらに紙の汚れや焼け具合、誰かの手垢、作家さんだけの物語に誰かの物語や人生が上書きされるのだ。もちろんエスパーではないので、手垢とかだけで他人の人生なんて読めないけど、誰かが触れて誰かの人生が色んな形でこの本は知っているのだと思うと、生き物みたいに見えてくる。

 

それもペットみたいに幼少期から知ってて育てていくものじゃない。成長する恋人みたいなものだ。誰かが愛でて愛でて、離れてまた誰かが愛でて。そうして完成する。恋人。

 

人間もそうであるのが殆どだし、そうであるべきなんじゃないかな。

愛でて、そこで止まってしまったらきっと、屍だと思う。どんな形にでもなれる。本も読み手の使い方次第だから。人間だって丁寧に扱えば綺麗なまま残れるし、適当に扱えばそれ相応のものにしかならない。

 

星の王子さまで、「所有されていることってどういうこと」そんな問いかけがあった。

 

うろ覚えで申し訳ないのだが、「あの星の花にぼくは水を与える。手入れをする。愛でてあげる。それが所有しているって事じゃないかな」そんな感じの言葉があった。

 

たぶん、みんなそう。

 

所有して、所有されて。

 

 

所有される事だけを望んではならないし、所有するだけではいけない。

愛する人に嘗てこの話をした気がした。今は所有されているだろうか。所有できているだろうか。

 

わからなくなる。

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11匹いたタニシが7匹くらい死んでいた。

 

水槽の掃除をした。フィルター部分が汚れていたんで綺麗にして、フィルターを部分交換した。あと水槽の壁も掃除した。水も替えた。水はめちゃめちゃ綺麗になった。でもタニシは死んでた。

調べると多くはPHの偏りだとか。前にソイルを入れた水槽にタニシを入れたら元気がなくなっていた。ソイルは弱アルカリ性にする模様。するとタニシの貝殻が溶け出す。

 

恐らく今回もPHかなと思う。白い、コリドラス用の砂を入れてからタニシが水槽上部に移動することは見かけなくなったから。残った4匹をどうするか迷う。佃煮にでもしようか。まずそう。

 

水が濁っていたのはフィルターの可能性も考えられるが、タニシの死骸も関係していたのかもしれない。

 

石に紛れてたり、白砂の下に埋まっていたりして気づかなかった。バクテリアも分解しきれなかったのかもしれない。結構たくさん居たわけだし。

 

気づかないうちに何もかも濁ってく。要因はもしかしたら、一番近くの隣にいる人間かもしれない。

 

2日ぶりくらいに水泳をした。水につかった瞬間が一番気持ちいい。正直運動はそんなに得意じゃないから、全然泳げない。でも緩やかにクロールして平泳ぎして、沈んでいく。水中を見ているのが好きだ。揺らめいているのが好きだ。

 

小学生の時に4Mくらいの川へ飛び込みしたことを思い出して、また川に行きたいと思った。幼い頃の出来事が今思えば、大変貴重なものに思えてならない。どこの山かも、川かも知らない。ニジマスやアユを釣った。川で泳いだ。飛び込みした。時が経つにつれて増えていく水嵩に驚いた。

 

またあの時に戻りたいとふと懐古したけど、あの時いた人たちはもうバラバラである。

私はあの時の人たちと居たいのに、あの人たちはもう一緒にいることはないのだ。

 

両親の離婚を嘆く機会がくるとは思わなかった。から少し今、驚いている。

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題名が面倒くさくなって残りの人生日数にする事にした。

 

今日は風が強くて寒かった。何も考える事のない一日だった気がする。や、少しだけ体調が良くなってきた気がする。

久し振りに晴れた日に外にでると、日光で頭がクラクラする気がする。

 

でも寒いから水泳にもランニングもせず、火曜市で食材を買って自宅で筋トレした。それからSAVASを飲んだ。でもそのあとにめっちゃ食った。お腹がすいて仕方がない。

 

3年前は体力もあったし食事も1食で住んでた。睡眠時間も短かった。見えるものすべてがキラキラしてた。新しく知ることが新鮮で楽しかった。

 

こんな大人にはなりたくない、その一つに向上心のない大人だ。元より人よりも向上心が多い方ではあった。しかし、3年前の私が今の私を見たら嫌うだろうと思う。

 

からい袋麺を食べてむせた。そしたら異常に気持ち悪くなってきた。書く事もないから今日は終わり。